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![]() 2004年(平成16年)7月7日に、「紀伊山地の霊場と参詣道」が中国の蘇州で開催された第28回世界遺産委員会 において、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峯、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を対象とするものです。 紀伊山地は紀伊半島の1000m〜2000m級の山々が連なる山岳地帯を示すもので、年間3000mmを超す降雨量が豊かな森林資源の源となっております。このような特有の地形や気候からなる自然環境が、太古の昔から自然信仰に大きく影響し、6世紀に仏教が日本に伝来すると共に山岳修行の場としての信仰が始まり、9世紀〜10世紀には「神仏習合」思想の聖地としての信仰拠点となって行きました。また、10世紀〜11世紀にかけて末法思想が流行すると、京の都から南に位置する極楽浄土としての霊場の性質がより強くなり、法皇や上皇の参詣が頻繁に行われるようになって行きました。 そうした歴史的背景が全国に知れ渡り、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)は地域信仰や山岳信仰の拠点的な役割を担うようになり、地位、老若男女を問わずあらゆる人々を受け入れることと、本地垂迹思想を原点として、時代と共に霊山として大きな発展を遂げて行くこととなります。それに伴い京を中心として日本全国から多くの巡礼者が行き交うようになり、熊野参詣道「紀伊路、中辺路、大辺路、小辺路、伊勢路」として巡礼の道が開かれて行きました。 現在ではその参詣道を熊野古道と称し、その中でも、皇族・貴族から一般大衆の巡礼者を最も多く熊野三山へ導いたのが中辺路ルートです。平安時代の中期以降、多くの参詣者を熊野に迎え入れて来た中辺路には王子社を初めとする史跡が多く残されています。また、室町時代から江戸時代の初めには多くの大衆が参詣に訪れ、その行き交う様子を蟻の行列に喩え「蟻の熊野詣」とまで言われたほどです。その中辺路をメインに御案内させて頂くのが「熊野古道の語り部の会 漂探古道(ひょうたんこどう)」です。 「熊野へまいらむと思へども徒歩より参れば道遠し すぐれて山きびし馬にて参れば苦行成らず 空より参らむ羽を賜べ若王子」 後白河法皇 |
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![]() 熊野古道は参詣道ではありますが、舗装や完全整備がなされた道ばかりではありません。起伏の激しい山中を巡るコースも多く存在し、その他の山道と交差するところもあります。また、熊野地方は日本でも有数の多雨地帯であり、天候の移り変わりが激しいことでも知られています。その事から、語り部はその日の正しい天候を把握すること、安全な道路状況を確認することが必須となります。漂探古道は語り部同士の連帯を強め、多くの情報を基にして安全な巡礼サポートを行えるように日々努めております。古道の旅は安心してお任せ下さい。 熊野古道には千年にも及ぶ年月を掛けた多くの歴史が蓄積されています。また、多くの巡礼者が訪れ、数々の伝説や和歌(書物)などが残されております。しかし、まだまだ解き明かされていない歴史が多く、魅惑の歴史街道と言っても良いほどです。そんな歴史ロマンの探求の手を緩めず、一つでも多くの歴史を皆様に伝えるべく、日々努力しています。皆様と一緒に新しい熊野の歴史発見の旅に出たいと願っています。皆様の足跡こそが熊野の歴史なのです。 歩く事への拘り、それが漂探古道の神髄です。大自然の中を心地よい空気に触れながら、ゆっくりと汗をにじませてみませんか?皆様の健康をサポートするのも我々の業務の一つです。準備体操を初めとする正しいストレッチから山歩き(ウォーキンク゛)のコツ、そして服装や水分補給の指導、緊急時の対処法まで、他分野に渡り勉強をしています。遠慮なさらずに語り部にお聞きください。健康ウォーキング、それが熊野参詣の一番のご利益です。 |
![]() 和歌山県の現在の降雨量(和歌山県砂防課) 和歌山県の警報・注意報(気象庁) ![]() ★道路状況・防災状況はすべて外部リンクです。詳細な情報はリンク先でのご確認をお願いいたします。 |

★熊野三山までの道案内は漂探古道にお任せ下さい。★
★紀伊山地の霊場と参詣道への皆様方のお越しを心よりお待ちしております。★
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